2012年7月3日火曜日

ならぬシェラ日記 ~ムエラ編~

ある天気の良い日曜、ムエラと呼ばれる山を登りに行った。
溶岩で出来たそれは山といっても標高はそれほどなく、一応頂上を目指してはいたが、その頂が目的ではなかった。溶岩台地でおこなわれているインディヘナのミサを見ることが目的だった。そのためわざわざミサの行われている日曜を選んだのだ。

僕を含めた4人で朝の宿を出発し、バスに揺られた。登山口まではそう遠くない。のんびり出発しても十分日帰りの範囲内であった。

ムエラの山自体、たいした登りでもなかった。岩場の連続だったが危険と言うほどでもない。地元のインディヘナのおばちゃんなどは、民族衣装のウィピルにつっかけサンダルという格好でずんずん岩場を登っていた。インディヘナの人々にとっては娯楽のために登るのではなく、ミサという大切な儀式を行うために登るのだからつっかけサンダルだろうがなんだろうがお構いなしだ。何度も往復した道なのだろう。大抵のおばちゃんは水さえ持っていなかった。

岩の連続する頂上付近の少し開けた場所で、最初のミサを見かけた。老若男女が輪になり、風に吹かれながら熱心に歌を歌っていた。歌詞の中から時折ヘスス(神)の単語が聞き取れる。僕らはその脇をすり抜け、岩の突き出た見晴らしのいい場所へ向かった。近くを通るときに彼らと目が合うので、歌の最中ではあったが「ブエノス・ディアス(おはよう)」と声をかけた。その誰もが笑顔を返してくれた。ミサの様子を写真に収めたかったが、カメラを向けるのがはばかられたので、そこから見下ろす景色だけにシャッターを切った。頂上付近とあって眺めはとてもよかった。

ちょっと休憩。ムエラの山が見える、

ずんずん登るおばちゃんたち。

見晴らしの言い場所で。

見晴らしがいいだけに吹き抜ける風も強く、じっとしていると寒さを感じてしまう。僕らはインディヘナの人々にさようならを言い、その場を後にした。頂上直下をトラバースし、肝心の溶岩台地へと向かった。登山道などなく目印になるものもないので、何度もルートを確認しながら進んだ。いくつかの尾根を越えたとき、目の前に広大な溶岩台地が開けた。大小の溶岩がまるで牙のように無数に散乱し、そこを歩くのは困難に見えた。

(この中を歩いていくのか?)

このまま進んでいいものか逡巡した。しかし遠くにはタルチョのような旗が見えた。行けない事はない。台地に入ると溶岩で見え隠れする旗を目指して進んだ。

小さく人の声が聞こえるようになったのしばらく歩いてからだった。風に乗って僕らの耳に届くそれは、声というよりもうめきのようなもので、どこかおどろおどろしい雰囲気を感じた。この先でミサが行われているのだろうが、目に見えず発せられるうめき声に恐怖心が先に立ち、このままうかつに近づいたら取って食われるんじゃないかなんて冗談にも素直に笑えなかった。

遠くに見えた旗を過ぎると、溶岩の間にできた小さな隙間を利用してインディヘナの人々がミサをしていた。いくつかの組に別れ、その数はざっと数えただけで100人は居るようだった。ムエラの溶岩台地はインディヘナの人々にとって聖地とされている。そのため多くの人がこうして出向いているのだろう。

それにしても近づいて尚おどろおどろしい雰囲気は増す一方だった。天に向かい両手を広げ大声を張り上げる人。四つん這いになって苦しそうに何かを吐き出す人。泣き崩れるように一心不乱に祈りを捧げている人。完全に精神世界に浸っているようだった。取って食われる心配はなさそうだったが、その様はかなり異様な光景として目に映った。ミサという言葉からはとても想像することが出来ない光景だった。ところどころから立ち昇る煙が、のろしの様に風に吹かれていた。

溶岩台地。

歩くのは結構大変。

聖地にて。

それまでは冗談を言い合い歩いていた僕らも、めっきり口数が少なくなってしまった。今起きていることを黙って見ていることしかできなかった。どんなに言葉を尽くしたところで、目の前の現実以上のリアリティーは持たせる事が出来そうになかった。

山を降りた。麓の村に出ると、日々の生活の匂いにどこかほっとする自分がいた。振り返ればごつごつとしたムエラが目に入ったが、ここにあの異様な雰囲気はなった。山の上界と下界では世界が違っていた。ムエラがなぜ聖地とされているのか、少し理解できたような気がした。

つづく。

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