中米は一般的に5月から雨季とされる。5月から11月の半年間が雨季で、残りの半年間は乾季だ。だから季節は夏(乾季)と冬(雨季)のふたつしか存在しない。2月にメキシコへ戻ったので、乾季の間に十分中米を抜けられるだけの時間はあった。しかし雨季はもう目の前だった。あっという間と感じていたシェラでの日々は、その取り分をきちんととっていった。
予定のない旅ではあるが、ひとところに2ヶ月以上も滞在するのは予定外だった。5月になると南米北部が乾季に入るので、その境目でうまいこと中米から南米へ移動しようと思っていた。しかし、その境目に僕はまだグアテマラに居た。90日のビザは、気が付けば20日を残すだけとなっていた。つまりその間にグアテマラからニカラグアまで抜け、コスタリカへ入国しなければならない。
広大なアメリカ大陸の中で、中米はひときわ小さい。北米には3ヶ国しかないのに、中米にはあの小さな範囲に7ヶ国もひしめきあっている。グアテマラを除く6ヶ国はどれも日本の国土の3分の1以下しかない。
中米を飛ばす旅行者も多い。大きな目玉となる見所も少なく、治安もあまり良くない。だから国際バスで一気に走り抜けるか、飛行機で飛んでしまう。しかし僕にはそれができない。ひとつひとつの国境を越えていくしかない。それがバイク旅というものだし、だからこそバイクという移動手段を選んだのだ。
シェラを脱出したのは4月の最終日だった。天気は上々で絶好の出発日和。皆に送り出されてタカハウスを後にした。
準備中は後ろ髪を引かれる思いだった。旅に対する不安のようなものも感じた。しかし晴れ渡った青空の下を走り出せば、そんな憂いはすぐにどこかへ吹き飛んだ。また旅が動き始めたんだと期待に胸が膨らんだ。それは足踏みしていたことが馬鹿らしく思えるくらいに。
久しぶりに移動とあって今日は100kmほど離れたパナハッチェルまでとした。そこはあのアティトラン湖のほとりにある村だ。パナハッチェルには日本人宿もあるのだが、一番の目的はクロス・ロードというカフェでコーヒー豆を買うことだった。
グアテマラはコーヒーで有名だ。しかしスーパー・マーケットなどで売っている豆はあまり質が良いとは言えなかった。大抵がすでに挽いたものだったし、いくつか買ってはみたものの好みの味には出会わなかった。いい豆を、豆のまま欲しかった。グラインダーをわざわざ持ってきているのはそのためだ。
クロス・ロードの豆は良質だった。ウエウエ・テナンゴといえばグアテマラでも名のあるコーヒー豆の産地なのだが、そこの豆を自家焙煎して販売していた。その豆が欲しかった。
ソロラの村の男性用ウイピル。
すごく繊細。
パナハッチェルの日本人宿で一泊した翌日、クロス・ロードへ訪れた。オーナーのマイクはアメリカ人で、家族でグアテマラに移り住んでもう長い。実は以前パナハッチェルに滞在していたときにも訪れていたのだが、半年以上前のことなので彼は覚えていなかった。無理もない。なにせ多くの旅行者が美味しいコーヒーを求めてこの店にやってくるのだ。可笑しかったのは、マイクはまたしても僕のバイクを見て驚き、その驚き方が以前とまったく同じだったことだ。そしてやはり彼が若い頃にしたバイクでのアメリカ大陸縦断の話をしてくれた。
マイクはいつも笑顔。
クロス・ロード。
「そうだ。今晩家に泊まりに来ないか?」
旅の話から一転、突然思い出したようにマイクが言った。
「旅の話をいろいろ聞かせてくれないか?」
逡巡したものの、せっかくの誘いなのでありがたく招待されることにした。
店が閉まる19時までの間、店の奥のテーブルを借りて時間を潰した。客はひっきりなしにやってきたが、午後になるとふたりの日本人女性がやってきて僕を驚かせた。日本人が来ること自体驚くこともないのだが、一見してバックパッカー然としない雰囲気で、ファッション雑誌からそのまま飛び出したような格好をしていることに驚いたのだ。しばらく長期旅行の日本人しか見ていなかったので、どこか不自然さを感じたのかもしれない。
聞くとふたりはゴールデン・ウィークを利用した旅行中とのことだった。なるほどそうか。日本は今そんな時期なのか。セマナ・サンタは気にしていたが、ゴールデン・ウィークはすっかり忘れていた。もっとも旅に出ると曜日さえ忘れてしまうのだから仕方ない。
閉店後、マイクの家へ向かった。それは町外れの静かな場所にあった。家、と言ってもまだ建設中で、自分たちで設計をし、少しづつ作っているのだと言った。マイクの奥さんが用意してくれた食卓を囲み、ロウソクの灯りでディナーを楽しんだ。3人でさまざまな旅の話をし、食後に熱い紅茶を飲んだ。広いテラスに出ると、庭先で無数に飛ぶ蛍が優雅だった。見える山並みはその輪郭だけを残して闇に溶け込んでいた。空には星が浮かんでいた。
ベッドなどないので、寝袋に包まって寝た。いい夜だった。すべてが静かでシンプルに満たされていた。心から人生を楽しんでいるマイク夫妻に大きな元気を分けてもらった気がした。
素敵な家。
朝起きたときには奥さんはもう居なかった。グアテマラ・シティーまで豆の配達に行ったらしい。マイクがコーヒーを入れてくれて、テラスに出てベーグルとバナナで朝食にした。目の前に流れる川のせせらぎと野鳥がさえずりが心地よい。
「家が完成したら多くの人を招待するんだ」
と彼は言った。そして
「君がこの家で最初のゲストだ」
とも。その日、僕は晴々とした気分でアンティグアへとバイクを走らせた。
つづく。
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