2012年7月23日月曜日

ならぬシェラ日記 ~徒然なるままに日暮編 vol.1~

タカハウスでは、毎晩のシェア飯がしきたりになっていた。調理は代々の管理人が担当することになっていたので、僕もご多分に漏れず毎晩宿泊者分の晩飯を用意した。宿泊者が少ないときは比較的楽だったが、それが連日15人以上ともなるとさすがに大変で、2時間は台所に立っていないといけなかった。毎日の献立にも頭を痛めた。1週間やそこらならまだしも、2ヶ月となるともはや万策尽きてしまう。

「今日はどうしようか?」
「さて、どうしましょう」

午後にもなるといつも決まってタカさんとそんなやりとりをした。料理上手でレパートリーも豊富というなら問題もないだろうが、大して料理もできない男が作るのだから作れないものは逆立ちしたって作れないのだ。日本から遠く離れた異国の地で、僕は母親の偉大さを痛感した。

「シェア飯に正解はない」

台所に立ちながら、誰かが言ったその言葉がいつも頭の中を駆け巡った。そんな料理を毎晩皆にお見舞いしていたので大変申し訳なかったが、心ある人々に助けられながらなんとか日々をこなすことができた。

グアテマラにありながらタカハウスには日本の調味料が揃っていたので、作る料理は基本和食だった。長く日本を離れていると、どうしたって日本の味が恋しくなるもの。やってきた旅行者が味噌汁一杯で癒される姿を見るのは、とても心が和むものだった。同時にある白人バックパッカーが

「日本人旅行者が数人集まると、なぜいつも食べ物の話ばかりするのだ?」

と不思議がっていたのを思い出す。そしてきっと彼には味噌汁を飲んで癒される日本人の気持ちなど永遠に分かるまいと、ひとり確信するのだった。

***

皆でカジノに行ったことがある。グアテマラのそれはカジノと聞いてぱっと思い浮かべるような代物ではなく、日本のゲームセンターのような雰囲気だった。仕事帰りのおじさんやら買い物ついでのおばさんがスロットマシーンを楽しんでいる、そんな感じだ。もちろんテーブルゲームもあった。ルーレットやブラック・ジャックなどは本格的なものだった。

アメリカでもカジノに行ったことがあった。それはホテル内の広いフロアにあるもので、煌びやかな雰囲気はぱっと思い浮かべるそれそのものだった。もっとも目的はカジノではなくレストランでの食事だったから、食後に少し遊んだ程度だった。ものの数分で1ドルが40ドルになって返ってきた。その夜のビールはやけに美味かった。

そのときの甘い思い出があるせいか、もしいっぱい勝ってしまったらどうしよう、などと要らぬ心配をしながらカジノに向かった。

しかし現実はそう甘くはなかった。チップ1枚が1ケツァール(約10円)からあるので、最初はルーレットでちびちびと遊んでいた。当たったり外れたりを繰り返したが、30枚のチップは1時間もせずに消えた。その後テーブルを変え、ブラック・ジャックをした。ブラック・ジャックが得意というわけではなく、単にそのテーブルのディーラーが美人だったからだ。

そもそもブラック・ジャックなんてやっとルールが分かるくらいなのだから、百戦錬磨のディーラー相手に勝てるわけがない。ミニマム5ケツァールのベットをしていたにもかかわらず、10回カードを配られたら50ケツァール分のチップはきれいになくなっていた。つまり1度も勝てなかったというわけだ。

(ねぇ、もう少しビギナーに対して甘くても良いんじゃない?)

心中穏やかではなかったが、その華麗なカードさばきにすっかり戦意喪失し、ものの10分テーブルに付いただけで尻尾をまいて退散するはめになってしまった。

結局僕らの中で勝ったのは女の子ひとりだけだった。彼女はルーレットが止まるたびに当たった外れたと一喜一憂し、ギャンブルというよりもゲームそのものを楽しんでいる様子だった。無欲の勝利というわけだ。いっぱい勝ったらどうしようとか、ディーラーが美人だからなどと下心丸出しでは勝てるはずもない。

つづく。

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