2012年7月25日水曜日

ならぬシェラ日記 ~徒然なるままに日暮編 vol.3~

グアテマラに入国して2ヶ月が経ったあたりからだろうか。僕は

「そろそろタカハウスを出ようと思う」

と言い続けていた。グアテマラのビザはなかなか特殊だ。入国日から数えて90日の滞在が許されるのだけど、それはグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアの中米4ヶ国あわせてのことだった。
グアテマラに2ヶ月滞在したとなると、残りの1ヶ月で他の3ヶ国を抜けなければならないということだ。それを考えると、そろそろ出なければと思うのも当然だった。

それでもなかなか荷物をまとめることができなかった。毎日が同じようにやってきて、同じように終わっていった。穏やかに時間だけが流れ、立ち上がることをさっぱり忘れてしまったようだった。
中米諸国はとても小さいので2日も走ればひとつの国を抜けることができる。しかしそうなると何も見ずにただ国境を越えるだけになるので、それではあまりにもったいない。しかしなかなか荷物はまとめない。

「メキシコにビザを更新しに行ったら?」

見かねた友人が冗談ともいえない冗談を言った。

シェラからメキシコ国境は近い。一旦メキシコへ抜け、ふた晩あけて再度グアテマラへ入れば、パスポートに新しくスタンプが押される。もしふた晩がいやならば、その場で200ケツァール(約2000円)をパスポートにはさめばいい。地獄の沙汰も金次第だ。たったそれだけで90日の滞在が許される。実際多くの旅行者がメキシコ、グアテマラ間の国境を行き来していた。

それは簡単なことだった。しかしそれをやってしまったらこの先の旅がすべて崩れてしまう気がして、僕はついに出る決心をした。ある土曜の朝だった。

***

最後の日曜、皆で近くの村へ遊びに行った。ナワラとトトニカパンという村だ。

ナワラは女性のみならず男性もウィピル(民族衣装)を着ている数少ない村だ。その手の込んだ鮮やかな刺繍は見事としか言いようがない。しかし村の若者たちは誰もがジーンズにTシャツという格好だった。一体この先何年ウィピルが着続けられるのだろう。僕には分からないことだ。

市をのんびりと歩き、織物を生業としている民家で機織機やさまざまな織物を見学させてもらった。一通り説明を受けたのだが、その作成工程はあまりに複雑すぎて僕にはよく理解できなかった。当たり前だが刺繍の一本一本がすべて手作業によるものだ。オートマチックな機械で大量に生産されているわけではない。

土産物屋で何気なく売られている織物1枚に、これほどの手間と時間がかかっているとはそのときまで知るよしもなかった。それを知ると値段交渉で、最後の一滴まで搾り取るかのような値切り方をすることが不当な行為のように感じられた。もちろん言い値で買うというわけではないが、きちんとした仕事には、きとんとした対価を支払うべきだ。

トトニカパンでは陶器工場と大衆浴場を見に行った。残念ながら陶器工場はやっておらず見学ができなかったが、大衆浴場ではおどろくべき光景を目の当たりにした。

浴場内はむっとした熱気が充満していて、50人ほどの人であふれていた。四面の壁に棚があり、そこが脱衣所だった。中央に湯船がある。それは浴槽というよりもプールのような造りで、湯は乳白色。かなりぬるめだった。老若男女が入り乱れて湯につかって様はある意味迫力だったが、さらにおどろいたのは、多くの女性が風呂に入りながら洗濯をしていたことだ。湯が乳白色をしていたのは泉質などではなく、せっけんの色であった。

「ここに入るのはちょっと遠慮したいよね」

全員一致の意見だった。洗濯をした湯につかるなら、きれいになるどころか逆に汚れてしまうのでなはいか。その辺は日本人の感覚なのだろうか。

シェラへ戻るバスの中で、突然トイレに行きたくなってしまった。昼に食べたスープが辛すぎたのだろうか。あと20分ほどで到着だからと言われたが、揺れるバスで20分も我慢できそうにない。人間切羽詰ると行動が大胆になるものだ。バスがどこかの町に入ったことを確認した僕は、運転手に無理やりバスを停めさせ、その場で降車した。去り行くバスの窓から皆の心配そうな顔が見えた。

とにかくトイレを探した。が、なかなか見つからなかった。人間切羽詰ると行動が大胆になるものだ。見つけたホテルに飛び込んでトイレを貸してくれと懇願した。ありがたいことにすんなり借りることが出来た。きっと悲痛な顔をしていたのだろう。

事を終えフロントで礼を言うと、そこに居たひとりの男がやたらと話しかけてきた。最初は従業員かと思ったがそうではないようだ。僕が外に出ると、男も付いてきた。しばらく一緒に歩きながら話をしたのだが、突然

「俺は近くの村に住んでいるんだ。お前今日暇か?どうだ。良かったらうちに泊まりに来ないか?」

と言いだした。なんと親切な男だろう、とは思えなかった。その誘いはあまりに不自然だった。僕はシェラに帰らないといけないからと適当な理由をつけて断った。男は少し残念そうな顔をした。無為に断ってかわいそうだったかな、とも感じたが、別れ際握手をした手に熱いキスをされてしまった。あぶないところだった。

***

最後の夜、皆でビリヤードをしにいった。グアテマラのビリヤード事情はあまりよろしくない。テーブルもキューもコンディションは言わずもがなだ。もっとも1時間遊んでも6ケツァールなのだから文句は言えない。

僕はビリヤードが好きで、日本ではよく遊んでいた。普段遊ぶときはビールなど飲まないのだが、その日は飲んだ。ビールを飲んだ方が楽しく遊べるのは間違いない。ほろ酔い気分で9ボールを撞いた。客は僕らの他にほとんどいなかったが、10人以上で4台も貸しきって遊んでいたから店内は大変な盛り上がりだった。

こうやって皆で楽しく遊んでいると、明日の朝シェラを出るという実感が未だわかなかった。汚れた服はすべて洗濯したし、食材も整理した。バイクの整備だって終わっている。準備は万端だった。あとは明日の朝、皆にさよならと言うだけだった。

これといって何もない町だったけど、わいわいと騒ぐ皆を見ているとここで過ごした2ヶ月は輝いた記憶となって僕の心の中に存在し続けるだろうと思えた。

おわり。

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