2012年7月1日日曜日

メキシコみたび

メキシコへバイクを預け、一旦アメリカへ渡り、そしてなぜか日本へ一時帰国することにした僕。旅を再開させるために雪の日本を飛び出すと、まずは真っ青な空が広がるカリフォルニアの空の下に降り立つのだった。


成田からロサンゼルス経由でメキシコ・シティーへと飛ぶ航空券だった。というよりも、ロサンゼルス~成田間の往復航空券を買って日本に一時帰国したため、新たにロサンゼルス~メキシコ・シティーの航空券を買い足した形だ。乗り継ぎが悪く、ロサンゼルスで11時間の待ち時間があったものの、なんとか朝の5時過ぎにメキシコのベニートフアレス国際空港に降り立った。ぼんやりと明け始めた空を見上げながらメキシコ独特のすえた匂い胸いっぱいに吸い込むと、またここまで帰ってきたことを実感する。

メトロを乗り継ぎ7時半にアミーゴに到着した。もはや3度目のメキシコ・シティーでは、空港から宿までの道中に地図を出すことさえ必要としない。宿に着くとそこには知った顔が7人もいた。宿に半ば住み着いている人も居れば、旅の途中で会った知り合いにも再会した。その偶然が旅を楽しくする。

部屋に荷物を入れ、ベッドに身を投げ出す。もうこれ以上移動しなくていいという安堵感に包まれると、ほとんど眠ることが出来なかった疲れのせいか、フワフワとした感覚に陥った。10時ごろ横になったと思ったのに、気が付いたら17時近かった。すでに空は夕暮れ色で、いちにちがゆっくり終わろうとしていた。
完全に時差ボケだった。おかげで夜はまったく寝付けず、だけどアミーゴにはそんな僕を快く迎えてくれる夜更かし組みがいて、そんな彼らと結局朝方まで起きていた。

昼夜が完全に逆転した生活はしばらく続いた。さらに悪いことに麻雀に手を出してしまった。毎夜、図書室と称した麻雀部屋で繰り広げられる熱戦を横目に楽しんでいただけだったのだが、面子はひとりでも多い方が良いからと執拗な誘いに折れて参戦したのがきっかけだった。麻雀は高校生くらいのときに遊んだくらいであまり良く知らなかったのだけど、下手ながら皆で遊ぶのは楽しかった。中南北というアメリカ大陸限定の旅人ルール(中南北を刻子で揃えると役満)があることも初めて知った。毎日日付が変わる頃に卓を囲み、朝になって健康的な宿泊客が起き出す頃にベッドに入った。

そんな怠惰なる生活も長く続けることは出来なかった。メキシコには一時輸入という形でバイクを持ち込んでいるので、その期限があった。180日間という決して短くないと思っていた期限は、もう目前に迫っていた。それまでにはメキシコを出国しグアテマラに入国しなければならなかったので、僕は慣れ親しんだアミーゴを抜け出し、夜行バスで15時間揺られてサンクリストバルへと向かった。

サンクリストバルの宿に戻ると、愛車は数ヶ月前と変わらずそこにあった。埃をかぶってはいるが、それ以外は以前となんら変わるところはなかった、洗車をし埃を落とすと、押しがけ数回で奇跡的にエンジンがかかった。その瞬間これでまた旅が始まったんだと思うと単純にうれしかった。

預けていた荷物を受け取り、そのすべてをバイクに積んで、数ヶ月前に通った道をたどるように、東へ向けて走った。同時に記憶もあの頃をたどるようによみがえった。バイクを預けていた数ヶ月もの期間がまるで一瞬にして消えてしまったかのようだった。


メキシコからの出国も、グアテマラへの入国も一度通った国境だけに慣れたものだった。グアテマラに入ってすぐにあるラ・メシヤの町は、国境の町特有の猥雑な感じのする町だった。両国間を行き来する人や車で賑わい、それに群がる商人や店で唯一の目抜き通りはごたごたと入り乱れていた。

沈没ライダー復活。

国境。

いくつかの宿をまわり50ケツァールの部屋に荷物を入れた。部屋は広かったがベッドがひとつあるだけの簡素なものだった。共同のシャワーは水が出ず、汲み置きされた水を桶で頭からかぶって汗を流した。特にやることもないので屋台で食事を済ませると早々とベッドに横になった。深夜に銃声と思われる乾いた音が6発続けて聞こえた。

おわり。

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