2012年7月22日日曜日

ならぬシェラ日記 ~スペイン語学校編~

スペイン語学校に通うことにした。
タカハウスを訪れる多くの旅人は学校に通う。しかもそれだけでは物足りないのか、学校のみならずホームステイまでする。学校以外の時間はグアテマラの家族に囲まれて過ごすのだから、望めば24時間スペイン語漬けの環境というわけだ。
僕は管理人をしていたのでホームステイは無理だったが(もしホームステイまでしてしまったら、スペイン語の聞きすぎて頭がおかしくなっていたと思う)、それでも2週間は午前中の4時間を学校に費やした。

以前アンティグアで2週間学校に通っていたので、ある程度授業は理解できるだろうと変な自信があった。しかし伸ばした鼻は初日にしてあっさりと折られてしまった。根元から。

簡単な受け答えならまだしも、少し突っ込んだ話になるとてんで答えることが出来なかった。あーとかうーとか言いながら手のひらで額を押さえ、必死に考えをめぐらせるのが精一杯だ。単語ひとつ出てこないことも珍しくなかった。語彙が極端に少なすぎた。そのたび辞書でいちいち調べねばならず、しばしば先生をこまらせた。

先生は若い女性だった。名前はファラといい、弁護士になるための勉強をしていると言った。知的な顔立ちをしていて、とてもお洒落だった。毎日同じズボンに同じジャケットで授業に出る僕とは対照的に、毎日綺麗な格好をして現れた。アンティグアでは男の先生だったのだけど、やはり若い女性が先生となると授業に対する意欲ががぜん違ってくる。我ながら単純とは思うのだが、4時間もの間顔をつき合わせて授業をするのだから、それはやはり重要なことだ。

「昨日は何をしたの?」

授業は決まってその質問から始まった。毎日聞かれるくせに毎日何も考えないで授業に出向くので、昨日のことをその場で思い出して答えなければならなかった。僕の語力ではせいぜい事実を羅列することしかできず、

「昨日は友達と日本食のレストランに行って食事をしました。僕はカツ丼を食べました。友達はお好み焼きを食べました。とてもおいしかったです」

やら、

「市場に買い物に行きました。そして果物を買いました。マンゴーとリモン(ライム)を買いました。マンゴーもリモンも日本ではとても高いです。でもグアテマラはとても安いです。市場にはたくさん人がいました」

など、まるで小学生然のかわいらしい回答をするのが精一杯だった。そして最後には忘れずに

「夜は酒を飲みました」

と付け加えた。最初は冗談のつもりで言い始めたのだが(もちろん酒を飲んだことは事実だけど)、毎日必ずそれを口にするので先生にはすっかり酒飲みのレッテルを貼られてしまった。終いには僕が言うよりも先に

「で、昨日の夜もまた飲んだんでしょ?」

と苦笑いされるようになった。一時体調を崩して学校に行ったら

「飲みすぎたんじゃないの?」

とまで言われてしまった。出来の悪い生徒に当たってしまったと後悔していたかもしれない。

授業は楽しかった。アンティグアで受けた先生よりも教え方は数段上手だった(マンツーマンの授業なのだからそれはとても大切だ)し、授業中に携帯電話でメールを打つようなこともなかった(日本とはその辺の感覚がまるで違う)し、課外授業で近くの村の市に行ったときにはグアテマラの文化や習慣についていろいろ教えてくれた。

授業も終盤に差し掛かったある日、こんなことを言われた。

「あなたはいろんな国を旅行しているわね。だけど私たちにはそれができないの。なぜなら国が貧しいから。もし私が日本に行こうとしたら、メキシコのビザを取り、アメリカのビザを取り、日本のビザを取り、そのために多額の支払いをし、さらに高い高い航空券を買って、それでやっと日本に行くことができる。だから現実的には日本に行くことなど夢のまた夢なの」

諭すよう口調だった。さらにこう続けた。

「あなたから見て貧しい国はどのように見えるのかしら」

言葉に詰まった。
貧しい国について。それは先進国と言われる国で育った旅行者が貧しい国を旅する場合、誰もが一度は陥るジレンマだ。僕もそのことについて考えたことがなかったわけではない。それでもただでさえ答えに詰まる質問に、スペイン語で答えられるはずもなかった。僕は辞書をひいてふたつみっつ単語を並べた後、もはやなにも言うことが出来なくなってしまった。

「ブエノ(いいでしょう)」

先生はそれ以上なにも口にしなかった。

あの時先生はどういう意味を持ってあんな質問をしたのか、未だ知るよしもない。しかしその質問をされた僕は答えられない自分に腹がたった。同時にどんな質問にも答えられるくらいスペイン語を話せるようになりたいと強く思ったのも事実だった。

ありがとうございました。

つづく。

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