2010年2月16日火曜日

歩45日目 千葉県流山市

天候 晴れ
気温 6時 10.5度(室内)
   17時 13.5度(室内)

この旅は、僕の単なる独りよがりだと思っていた。
自己満足。
ただそれだけだと思っていた。

しかし、実はそうではないということを、旅を通じて少しずつ感じるようになっていた。そして今日、それは確信に変わった。

昨日、ラリーを終えた僕を待っていたのは、アパートの窓から漏れる柔らかな灯りだった。寝ずに歩いたゴールにおいて、これは本当に嬉しかった。
流山の友人がまだ仕事から帰っていないはずだったので、暗く寒い部屋へのゴールかと思っていた。しかしそこには温かな灯りがあった。先に到着していた旅仲間の女の子が台所で夕食の準備をしていた。

僕は漏れる灯りに嬉しくなって、元気にドアを開けた。女の子は笑顔で僕を迎えてくれた。
「ただいま」
僕は言う。
「お帰り」
彼女が言う。
自分の家でもないのにそう言える場所があるということは、旅人にとってこの上ない幸せだ。

挨拶もそこそこにすぐさまシャワーを浴びた。結局仙台を発ってから一度も風呂に入らなかった。1週間風呂に入らないなんて普段の生活なら考えられない。僕だって出来ることなら入りたかった。でももうそんなことはどうでもいい。それよりも、自分では気付かなくてもかなり匂うはずだ。早くきれいになりたかった。

シャワーから上がると流山の友人が帰宅していた。2日振りの再会。その後、続々と人が集まってきた。総勢で7人。皆どこかの旅でつながったメンバーだった。

楽しい時間はあっという間だった。うまい料理にうまい酒。そこに楽しい仲間がいれば、それは言わずもがな。楽しい時間を少しでも長く味わいたくて、僕は重いまぶたを必死にこじ開けていたが、日付が変わる頃には気を失うように落ちていた。

飲み過ぎの朝は頭が痛かった。旅仲間のひとりが沖縄の与那国島から送ってくれた花酒(アルコール度数が60もある泡盛)にやられたようだ。当初は流山を1泊だけで出ようと思っていたが、あまりにも疲れすぎていたために1日休養することにした。飲み過ぎたのはその安心感があったからかも知れない。

結局今日は1日のんびり。何もしない。ひたすら体力の回復を図る。足首から下などはまるで捻挫でもしたかのようにむくんで熱をもっているし、膝は階段の上り下りが辛く、ただ歩くだけで眉が動いてしまうくらい足の裏が痛かった。昨日まであれだけの距離を歩いていた自分の足が嘘のようだった。心構えひとつでこうも変わるものか。気が抜けた今日はとても重い荷物を背負っては歩けない足になっていた。人間必死になるということは凄いことだ。

今日の夜も楽しい時間は続いた。昨日のメンバーのうち何人かが帰り、新しく何人かが加わっていた。そして風呂上がりの僕をひとつの波が待っていた。

僕がこの旅を始めたことによって、ひとつの波が生まれた。その波紋は僕を中心に広がっていった。そしてそれは僕の独りよがりで自己満足の波だと思っていた。静かな水面に石を投げ、揺れるそれを眺めて満足する。そんな感覚だった。

だけどそれだけではなかった。
僕の周りにはたくさんの人がいて、僕の発した波を受け止め、返してくれる人がいたのだ。旅の中で出会い、優しい手を差し延べてくれる人がいた。遠くから僕を応援してくれる人もいた。

風呂上がりの僕はなぜか鍋を持たされていて、ふたを開けると何枚かのメッセージカードと、たくさんの食糧が入っていた。今回僕が流山に到着するのに合わせて、旅仲間達が僕のために寄せてくれたのだ。北は北海道から南は沖縄まで。全国に散らばる旅仲間から熱い言葉が送られていた。

泣けた。

そのメッセージカードひとつひとつを読むたびに、目頭が熱くなった。こんなにも僕を応援してくれる仲間がいる。そのことに僕は胸がいっぱいになり、喉を詰まらせた。周りを見渡すと、そんな僕を優しく見守る顔があった。

僕は、なんて幸せ者なんだろう。

僕を取り囲むひとりひとりが小さな波を返してくれ、それが寄り集まって大きな波となり、僕を襲った。為す術なくその波に飲み込まれた僕は、完全に溺れてしまった。頭の中がじんとした。それは、温かく幸せな窒息だった。

この旅は、もはや僕ひとりのものでは無くなっていた。そして手に持っている鍋には、僕が旅をする本当の答えが詰まっているのかも知れなかった。

今日の歩行距離0km。

写真1
日本最西端、絶海の孤島から送られてきた刺客。強敵だった。勝てない。

写真2
ふたを開けると津波。もう、もみくちゃ。

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