2010年2月23日火曜日

歩53日目 静岡県静岡市

天候 晴れ
気温 7時 3.1度
   17時 13.6度

その存在感は圧倒的だった。
他の追随を許さない。その言葉がまさに相応しかった。富士山は、やはり日本人の心の山なのだ。

4時30分。起床。朝食を済ませテントから出ると、松の間から朝焼けで朱色に染まる富士山が見えた。昨日はあれだけ頑なに姿を現わさなかったのに、今朝はその雄大さを惜しみない。朝焼けの富士山を眺めながら歯を磨くというのもなんとも贅沢なことだ。

6時20分。出発。昨日にも増して右ばかり見ている。そのうちに首の筋がおかしくなってしまうのではないかと心配になるほどだ。それでも太陽の位置によって刻々と柔らかく色を変えていく山は、いくら見ていても見飽きることはなかった。

8時50分。潤井川の川原で目の前に富士山を見ながら休憩。川の瀬の音と小鳥のさえずり。そして暖かな日差しと富士山。いつものコーヒーなのにこれがまた格別の味となる。

11時30分。富士川を越え、静岡市に入る。

12時40分。蒲原宿場町の秋田屋という魚屋で、珍しい物を食べた。イルカだ。僕は恥ずかしながら日本人にイルカを食べる習慣があるとは知らなかった。だけどここ静岡の蒲原から由比にかけての一帯では昔から食べられていたらしい。イルカのすましという尾びれを茹でてスライスしたそれは、強い弾力がありかなり個性的な味と匂いがした。正直あまりおいしいとは思わなかったが、日本人の独特な食文化に触れられたことは良かった。
それにしてもイルカだ。確か小笠原ではウミガメをたべていたはずだったし、クジラであれだけ騒いでいるオーストラリア辺りの人達が知ったら、それこそ大変なことになりそうだぞ。なんていつまでも口の中から消えない獣臭さを反芻しながら思った。

13時15分。由比川を越える。由比の町は桜えび一色。桜えびのかき揚げなら知っていたけど、桜えびを卵とじにした丼があるのは知らなかった。駿河湾では広く食べられているらしい。
歩きの早さだと、その土地の生活の匂いをいちいち感じることが出来て楽しい。

2時50分。旧東海道は、さった峠(携帯電話では漢字が出なかった)に差し掛かる。国道1号は海岸線、東名高速はトンネルになっているのだけど、昔の人は山を越えた。だから僕も越える。
きつい坂道ではあるが、両脇に甘夏の木がまるでトンネルのように生い茂り、葉の緑と実の橙が目を楽しませた。開けた場所に出ると、眼下に国道1号と東名高速が大量の車を抱え、駿河湾をなぞるように横たわっていた。
海の向こうには伊豆半島。付け根には富士山。峠を登ったご褒美はまさに絶景だった。

興津、江尻と抜け、草薙駅前で旧道を探していると、自転車の青年に声をかけられた。
「旅をされているんですか?」
そう聞かれ、日本縦断中と答える。彼はそれは凄いと両手を叩いて感嘆し、
「もし良かったら家に泊まりませんか?」
そう言ってくれた。なんでも彼はよく旅人を受け入れていて、つい最近も横浜から伊勢参りをしていた19才の若者を泊めてあげたのだという。彼も昔旅をして、多くの人に親切に触れたのかもしれないな、そう思った。布団。お風呂。ご飯。彼の誘いには魅力的な言葉がちりばめられていたけど、いきなり会った見ず知らずの人にそこまで甘える訳にはいかない。僕は丁寧に断って、気持ちだけ頂くことにした。
世の中親切な人がたくさんいるものだ。これまでの道中も、多くの人の親切に支えられてきた。きっと彼も僕が首を縦に振っていたら、快く泊めてくれたことだろう。そんな親切が人の心から消えない限り、きっと旅というものの温かい部分はいつの時代も変わらずにあるのだろう。

21時20分。静岡駅前の煌びやかな町並みを抜け、安倍川の河川敷に到着。今日はここにテントだ。野球場にサッカー場。広い河川敷はテントが張り放題だった。
やっとのことでテントに落ち着くと、時計はすでに22時近かった。かなり遅くなってしまった。50km近く歩いたので足も疲れている。ストレッチとマッサージで身体をほぐす。なるべく疲れは溜めない方がいい。
明日もまた歩かねばならない。

今日の歩行距離約48km。

今日の通過宿場町

吉原宿
蒲原宿
由比宿
興津宿
江尻宿
府中宿

残り宿場町数34

写真1
朝焼けと富士。素敵。

写真2
富士川と富士。素敵。

写真3
駿河湾と富士。素敵。

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