2010年2月20日土曜日

歩50日目 神奈川県?郡二宮町

天候 曇りのち晴れ
気温 6時 1.0度
   17時 9.6度

深夜のファミリーレストランのソファーで浅い眠りを繰り返す僕は、薄い幕に包まれた、小さな小さな自分だけの空間を懐かしく思っていた。

食事に飲み物。ソファーにトイレ。暖かい店内にいると寒さを忘れられるが、やはりテントと寝袋というスタイルの方が僕には向いているようだ。

いつ起床とも言えない朝を迎える。小刻みな睡眠だったからだ。頭はすっきりしていても体がダルい。やはり横にならないと体は休まらないよいだ。

5時00分。出発。真っ暗な町中を歩き始める。昨日の晩に寝床を探してさ迷ったおかげで一駅分戻っての出発だった。

6時00分。朝焼けをきつい登りの権太坂で向える。今日は昨日の雪が嘘のように穏やかだ。

旧東海道は今の国道1号とは微妙に違い、国道の右を左を蛇行しながらのびている。上り下りがあり、蛇行する分距離ものびるが、そこを歩いていると昔の人々と共に京都を目指しているようでなんだか嬉しい。

10時00分。藤沢市内で道に迷う。一旦国道と合流した旧東海道だったが、次の分岐点がわからなかったのだ。間違った場所を曲がり、方向をすっかり失った僕は気付けば線路沿いに出た。思っていたよりもずいぶん外れてしまっていた。
地図を見るとこのまま線路沿いを行けば辻堂を越えて、また国道に復帰できそうだ。別に旧東海道を絶対にというこだわりなんてないので、線路沿いを気持ち良いほど真っ直ぐのびる道を西へと向かった。転ばぬ先の杖など捨てて、ころころと転がる楽しみを味わうのも旅の醍醐味かもしれない。

11時15分。辻堂駅到着。一本道は迷いようが無い。

12時30分。茅ヶ崎駅到着。ここで仕事終わりの友人と合流。3日続投での参加。お互いお腹を減らせていたので、とりあえず駅前の店で昼食。
横浜駅から電車に乗ってきた彼によると、僕が夜明け前から歩き続けた距離は、電車でたった30分の距離だったらしい。30分の距離を半日かける。それはとても馬鹿げているようで、その実とても贅沢なことだと思う。自分の足で旅をするというのは、数ある旅の方法の中で一番原点にあるのではないか。
「やろうと思ってもなかなかやれる事ではないよ」
よくそんな事を言われてきたけど、まさにその通りなんだと思う。

天気がいい。日向は汗ばむほどで、気持ちがいい。会話の中にも笑顔が漏れる。
相模川を越えると平塚で、ちょっと休憩と立ち寄った公園のベンチで暖かな日差しに誘われるようにうたた寝。

再び歩き始め、平塚駅を過ぎた辺りでビールを買った。友人の参加も今日が最後とあって、ちょっと早めのお疲れさまだ。
贅沢な昼ビールに気分が良くなり話も弾む。途中西湘バイパス沿いに走る自転車道に降り、茨城ぶりの太平洋を見た。海は相変わらず海で、なんだかそんな当たり前に嬉しくなる。

大磯か二宮か。友人はどの駅から帰るか迷っていたが、時間的に二宮まで行けそうということで先へ進む。茅ヶ崎から15kmは歩いてきただろうか。かなり足がつらそうだったけど、一生懸命歩歩く姿か嬉しかった。

18時00分。日は暮れていたがなんとか二宮駅到着。そこからふたりで海に向かう。今日の寝床探しだ。
簡単に浜まで行けるかと思っていたが、バイパスにそれを拒まれる。目と鼻の先にそれがあるのに、降り口が分からずたどり着けない。仕方なく浜とは反対側の松原に適当なスペースを見つけテントを張った。

ひとり用の狭いテントにふたりで入る。中に入った瞬間、薄い幕一枚で外界とは遮断され、自分だけの空間になる。テントに入ると本当に落ち着ける。

夕方買ったワインを飲みながら話をしていると、友人はバッグからポケットから次々と差し入れを出してくれた。その量は小さなウエストバッグによくもそんなに入っていたと感心するほどで、まるで手品でも見ているようだった。

3日間も続けて参加してくれて、わざわざ電車で来てくれて、テントの中での夕食まで用意してくれて、本当にありがたかった。一緒に食べて飲んで、1時間ほどの小さな宴は楽しく過ぎてた。

「そろそろ帰るか」
友人は時計を見ながらそう言った。
「それじゃあ鹿児島まで頑張って」
「3日間ありがとう」
靴を履いた彼と最後の挨拶。見送る後ろ姿はすぐに闇に溶けた。
長い握手の後に残ったのは、凪いだ海のような静けさだけだった。

今日の歩行距離約42km。

写真1
権太坂で朝日を拝む。しばらく天気はいいそうだ。

写真2
早めの乾杯。昼のビールは贅沢の味。

写真3
久しぶりの太平洋。今日も海だった。

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