2010年3月6日土曜日

歩62日目 滋賀県大津市

天候 晴れ
気温 6時 13.0度(室内)
   17時 16.8度(室内)

※京都の友人宅に滞在中なのですが、歩いて到着した地点が滋賀県なので、タイトルは未だ滋賀県にしています。

昼まで寝た。一度友人が仕事に行く時間に起きたのだが、友人を見送り、しばらくのんびりしているうちにまた寝てしまった。

とにかく体が疲れていた。睡眠が必要だった。身体中が熱を持ったように火照っていて、足は立ち上がるのでさえ苦痛で、赤子のように皺ひとつなくむくんでいた。それでも、部屋の中でなんの心配もなくゆっくりと体を横たえられる事が、至福だった。僕は目を閉じ、必死に回復しようとする体の声を聞きながら、夢の世界をふわふわと漂っていた。

昼を過ぎた頃、玄関のベルが鳴った。僕は夢から覚め、手摺りに捕まりながらよたよたと階段を下りていった。足の裏のマメは乾いて固まり始めてはいたが、まだ歩くには痛みが伴ったのだ。おまけに膝も痛い。
玄関には、兵庫県に住む友人がいた。仕事休みに遊びに来てくれたのだ。
「よう」
「久しぶり」
本当に久しぶりなのだけど、至って普通の挨拶だった。なんというか、彼とはそういう仲だった。もちろんいい意味でだ。

ふたりでこたつに入りながら、泡盛を飲んだ。まだ外は明るい。彼とはそういう仲だった。他愛もなく、くだらない話しで時間が過ぎていった。

僕は、南の小さな島に長く滞在(旅の世界ではそれを沈没という)していた頃を思い出していた。小さな島の安宿にどっかりと根っこを生やしていた僕は、朝目を覚まし、その日特にやることが決まらないと、三線の柔らかい音色に耳を傾けながら昼から泡盛を飲んでいた。島に長く滞在していると、前に進もうという気力が失せる。美しい海があるだけで、他には何も必要ではなかったからだ。温暖な気候が身体の隅々まで浸透し、全てはなすがままなのだという気持ちになるからだった。泡盛を飲むと、いつも決まってあの頃を思い出す。

ふたりでだらだらしていると、ふいに荷物がひとつ、届いた。宛名は家主の友人と、なぜか僕だった。送り元は岩手県。それはあの、羨ましいほど仲良しの、ふたりでカフェを営んでいる姉妹からだった。
「少しずつだけど、皆で食べて下さい」
メッセージと共に、自家製のお米や名物の南部せんべい、彼女達が撮った画像データが、CDに焼かれて入っていた。さらに嬉しかったのは、くるみのペーストが入っていた事だ。それはきっと僕が話した、くるみ餅が好きだという言葉を覚えていてくれたからだろう。
まさかの出来事にふたりで驚き、僕は、胸の奥がじんとした。彼女達は、彼女達の心にぽとりと落ちた小さな種に、水を与え、光を与え続けてくれたのだ。僕の歩いて来た道に、いつか、きっと花が咲く。そう思えた。無性に嬉しくなった。

その後も、嬉しい出来事が続いた。
昨日の晩、楽しい時間を共有した友人の女の子が仕事終わりに差し入れを持ってきてくれた。
和歌山に住む友人が、寒い中バイクで遊びに来てくれた。

長い月日をかけたバイク旅も、思い付きで始めた歩き旅も、決して無駄な事ではなかったんだ、そう実感した。僕は、疲労で未だ熱を持つ身体とは背反的に、凪いだ海のように穏やかな気持ちになれた。

今日の歩行距離0km。

写真1
姉妹からの贈り物。と、気の置けない奴。

写真2
送られてきた南部せんべいで、せんべい汁にした。西の友人達は皆初めて食べたという。

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