2010年3月7日日曜日

歩64日目 京都府京都市

天候 曇り
気温 6時 16.6度(室内)
   17時 14.3度

そうだよ。僕が彼をいちいち心配するなんて、ナンセンスじゃないか。僕は僕が決めたことを、やりたいようにやってきた。自分の事を棚に上げるべきじゃない。彼の意志を尊重するべきなんだよ。

そう思えると、彼からのメールには快諾の返信が出来た。そして、晴れ晴れした気分になれた。リーチング佐多岬の11人目が決まった瞬間だった。

7時00分。起床。トースターでパンを焼き、ポットのお湯でコーヒーを入れる。数個のボタンを押すだけで、あっという間に朝食の用意が出来てしまう。旅の日々を思えば、煩わしい殆んどを機械が全てやってくれている事に感謝せずにはいられない。テントの朝ではどこかで水を確保し、小さなストーブでお湯を沸かさなければ、コーヒー一杯さえ飲めないのだ。

仕事へと向かう家主を見送り、和歌山から来た友人とあれこれ相談する。彼は僕と一緒に歩いてくれるために、わざわざ和歌山からやってきていた。それもテントや寝袋一式持って、数日共に歩いてくれるという。

その話を聞いた時、嬉しさと同時に戸惑いも感じた。確かにリーチング佐多岬という企画は立ち上げたが、実際彼をそこまで巻き込んでいいのだろうか?そんな疑問を抱いたのだ。

ただ歩くだけの旅ではある。京都からであれば、真冬の北の道中のように雪に泣くということもないだろう。だけど、それでも決して楽なものとは言えない。1日だけならまだしも、数日となるとかなりハードになる。
重い荷物を背負わなければならない。連日長い距離を歩かなければならない。雨に濡れるかも知れないし、風呂さえまともに入れない。食事だって粗末なものだ。
果たしていいのだろうか?
しかし、その問いは結局僕自身に返ってきた。僕があれこれ考えた心配事の全ては、僕がこの旅を始めるときに周りの人達から投げ掛けられたものに違いなかったからだ。その時の僕は、固く耳を閉ざし何一つ聞き入れようとしなかった。他人の言葉にいちいち耳を傾けていたら、旅なんて出来ないからだ。まして今回は真冬の北海道がスタート地点。その殆んどが否定的な意見だった。それでも僕はやめなかった。決心が揺らぐ事はなかった。

うん。大丈夫。彼は、彼のやりたいように。
そう思うと心配事はひとつ、またひとつと消えていった。彼が自転車で日本一周したという事実も大いに味方した。一緒に歩こう。そう返事をするまでに多くの時間を必要としなかった。

8時20分。出発。ついに今日、3rdステージを終わらせる。友人宅に鍵を掛け、地下鉄の駅に向かう。車で回収された地点の最寄り駅は、JR東海道本線の瀬田駅になる。地下鉄で一度京都駅まで出、そこからJRに乗り換えた。

11時00分。回収地点到着。いよいよ3rdステージの仕上げである。ここから旧道を通り三条大橋までは距離にして約23km。それは、あの日届かなかった23kmだ。胸の奥に小さな痛みが走ったが、僕はそれについては深く考える事をせず、ただ目の前にのびる道だけを見つめた。

ガイドブック片手にふたりで並んで歩いた。旧道は幾重にも曲がりくねり、しばしば道を外れてしまったが、なんとか復帰しては前に進んだ。

瀬田の唐橋を渡る時、右に琵琶湖を望んだ。それは湖南の極々一部分ではあったけど、日本橋からやってきた僕にとっては目に見えるよりもずっと大きな意味を持っていた。

大津の宿場町に入ると旧道は更に複雑に入り組み、琵琶湖と付かず離れずを繰り返した。浜大津の駅前に出ると道は国道161号に乗り、徐々に勾配を付けていった。逢坂山に入ったのだ。これを登れば京都府に入る。ついに京都。気持ちがはやる。

16時00分。京都府に入った。ここから三条大橋までは10kmもない。確実に近づくそれにどこか戸惑いを感じてしまう。複雑な気持ちを友人との馬鹿話で紛らわせる。確かに夜通し歩いて来たし、あれほど渇望した三条大橋だ。だけど鹿児島を目指す僕にとって、そこはひとつの通過点にすぎない。馬鹿話でもしながらさらりと辿り着くくらいがふさわしく思えたのだ。

疲れ始めた友人と山科駅でゆっくり休憩し、京都の町を目指した。坂の上からは町が見下ろせ、蹴上駅を過ぎると次第に町中に入っていった。あとはほぼ直線に三条通りを進むだけ。いよいよ日本橋からの長い街道が終わりを迎える。

17時50分。暮れ泥む空の下、灯り始めた町の明かりに目を奪われながら、人波に流されるように三条大橋の上に立った。日本橋から三条大橋まで。約500kmを歩き切った瞬間だった。

長かった。本当に長かった。これまでのステージに比べたら、距離的には一番短い。しかし、一番長く感じた。

何故だろう。それは様々な要因が考えられるが、一番は僕の慣れに起因していると思う。
例えば40kmという数字。歩き始めた頃ならそれは挑戦に近い数字だった。しかし今、1日の歩行距離としてなら何ら問題ない距離に感じる。頑張れば50kmだって行ける。だけどそれは真剣に歩いての話だ。

もちろん毎日真剣に歩いていたつもりだ。でもどこかに頑張ればなんとかなるという考えがあったのも否めない。頑張れば行ける。多少の遅れは取り返せる。そういう思いがあった。でもそれを別の言葉に置き換えるなら、きっと「甘さ」になるのだ。そう。僕は甘かったのだ。毎日40km歩く事はそれほど甘いものではない。結局その甘さを埋めるため夜通し歩く事になり、挙げ句、いたずらに足を痛めつけるだけの結果になってしまった。

人で溢れた三条大橋の上にたたずみながら、暮れ行く空を眺めた。辿り着いた喜びと、自分に対する叱責の念が交差し、複雑な気持ちだった。それでも、隣に友人が居てくれたことと、華やかな京都の町の雰囲気にだいぶ救われた気持ちになった。

少しゆっくりと気持ちを整理したい。それが今の素直な思いだった。

今日の歩行距離約23km。

写真1
いざ三条大橋へ。旅のお供が出来た。リーチング佐多岬11人目。

写真2
唐橋から琵琶湖を。もっともっと大きい。

写真3
辿り着いた夕暮れ。東海道が終わった。

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